私の大好きなコウテイペンギン。まったく人を恐れず、優雅な泣き声と動きを、見せてくれた。(南極)  | Home | 写真貸し出しメールサイトマップお問い合わせ
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(株)タイニーリンクス 西森有里写真事務所
 TEL&FAX 04992-2-3836


●●プロフィール [目次]
オフィシャル・プロフィール
アンオフィシャル・プロフィール



オフィシャル・プロフィール


エコツアー写真家 サイエンスライター フォトエッセイスト
西森 有里 (にしもり ゆり)

1968年 福岡県生まれ。京都大学理学部生物学科卒業。東京綜合写真専門学校卒業。水中写真家 中村征夫氏に師事する。インドネシアで出会ったエコツアーに感動し、エコツーリズム、エコツアーの撮影をライフワークとする。執筆&取材テーマは、エコツーリズムの他、自然科学、環境教育など。 NHKハイビジョン・スペシャル『体感エコツアー!』では、オットセイの水中撮影を手がけ好評を得た。雑誌『日経サイエンス』では、「旅して発見!」を担当。著書に『ペンギンと泳ぐ旅−南極エコツーリズム』(NTT出版)。2003年9月富士フォトサロン・銀座にて写真展『南極エコツーリズム』。2004年『南極の自然を感じる〜エコツーリズム』(郵船歴史博物館)を開催。美しい写真と分かりやすい文章に定評がある。

詳しいお仕事については、「主な仕事」をどうぞ


上)水中撮影の様子
中)WEB制作スペース
右)写真をセレクト中

左)南極で潜ったときの様子



西森有里 アンオフィシャル・プロフィール



◇その1◇
1968年 福岡県の小さな漁村に生まれる

一日に一度現われる周防灘の大きな干潟が、私の遊び場だった。カニの穴を埋めたり、イソギンチャクをほじくったり、クラゲを日干しにしたり、浦島太郎さんに怒られそうなことばかりして、遊んでいた。マテガイ堀りのおじさんの技には、毎日感心していた。



◇その2◇
東京・杉並に引越しする

父の仕事で上京。小学4年の時、両親にお願いして、顕微鏡を買ってもらった。面白くて、面白くて、毎日のように善福寺公園に行って、植物を採ってきたり、池の水を取ってきたりして、顕微鏡でのぞいてみた。自転車(ママチャリ)で遠乗りするのが、この頃のマイブームだった。深大寺公園や小金井公園まで行ったりと距離を伸ばした。6年生の夏休みには、杉並−青梅間(往復70Km)のママチャリツーリングにチャレンジ。無事完走!


◇その3◇
京都大学 理学部生物学科入学

高校生になり、将来何になりたいか、まじめに考える。生きものなら何時間でも見ていられる。これだけには、自信があった。自然を見ていられる所で、仕事がしたい。アフリカでチンパンジーの研究をする、女性動物学者ジェーン・グドールみたいになれたらどんなに素敵だろう。そんな漠然とした憧れから、大学は生物学科を選んだ。

◇その4◇

1m近くもあるシーボルトミミズから、哺乳類まで、いろんなものを解剖した。野ネズミに発信機をつけて生態を調べる、野外調査にも参加した。生物学科の学生らしくしなくてはと、分厚い「細胞の分子生物学」を読むふりをした。授業を受けながら、何かが違うと心の奥で感じていた。生きものを見ているのは、大好きなのだ。しかし、ココは私のいる場所ではない。そう感じずには、いられなかった。


◇その5◇
京都大学 理学部生物学教室卒業

中学生の頃から愛用していた、カメラ「オートボーイ」が壊れた。それと同じ頃、もう一台の愛用カメラ、一眼レフカメラが壊れた。この時、物心ついて初めて、カメラのない生活を過ごす。写真が撮れないことが、こんなに辛いこととは知らなかった。とうとう我慢が出来なくなり、お金を貯めて、EOSを購入した。久しぶりに手にしたカメラのファインダーを、覗いてみた。ゾクゾクした。大学卒業後、写真学校へ行こうと決意する。


◇その6◇
スズキ株式会社入社

学費を貯めるために、一応、社会人になる。スズキ株式会社に入社し、どういう訳か、海の生きものを研究しているグループに配属になった。私の研究テーマは、「海藻」だ。研究のかたわら、海と環境に関するたくさんの書籍を読む。そんな時、「全・東京湾」という本を手にした。面白くて、夕飯を食べるのも忘れて、一気に読み終えてしまった。写真と文章で、こんなにも、生きものに関わっていくことができるんだ。なんてスゴイことだ。この日から、この本は「沈黙の春」の横に並ぶことになる。


◇その7◇
東京綜合写真専門学校 第2芸術学科入学

写真学校の夜間学部に入学した。会社が終わった後、6時から9時まで授業を受ける。家に帰ると11時。それから、学校の課題であるモノクロのプリントを焼く。何時間見ていても飽きないものが、もう一つ増えた。写真のプリントだ。暗室を出ると、空が白くなっていた。


◇その8◇
東京綜合写真専門学校 第2芸術学科卒業
スズキ株式会社退職

2年間の勤労学生生活が、終わろうとしていた冬のことだ。学校の求人票もチェックしていたが、私がやりたいネイチャーカメラマンの助手の仕事は、全くなかった。「全・東京湾」の作者である、水中写真家の中村征夫氏のことが、ずーと気になっていた。半年近く悩んだが、ダメもとで、写真を持ってたずねてみた。「現在2人アシスタントがいるから・・・」ということで、やんわりと断られた。断られても、私の決意はかわらなかった。数日後、会社に辞表を出した。


◇その9◇
水中写真家 中村 征夫氏の助手になる

辞表を出したあと、八丈島へ行った。ダイビングの技術を上達させるためだ。半年ほどして、もう一度、中村征夫さんへ手紙を書いた。OKの返事が来た。晴れて、水中写真家の助手になる。奥尻島、東京湾、知床、水俣湾など、普通のダイビングでは、潜れないような場所をあちこち潜る。どんなに大変なダイビングでも、一度海の中に入れば、辛かったことなどみんな忘れてしまう。海の中でカメラを持っていると、不思議と気分が落ち着いてくる。ココは私の居場所なんだと思った。

助手時代(奥尻島にて)

◇その10◇
独立してフリーになる

助手の仕事はやりがいはある。忙しくてロケをこなすと、あっという間に月日が過ぎていく。そろそろ、自分の写真を撮らなくてはだめだと思い、中村さんの事務所を退職した。さて、名刺に何と刷ろうか考えた。カメラマン?フォトグラファー?写真家?ネイチャーカメラマン?フォトジャーナリスト?私は何になりたいんだろう?私が作りたいもの。それは、写真だ。写真が私の最終制作物だ。名刺に「写真家」と刷ることに決めた。


◇その11◇
エコツアーと出会う

フリーの写真家になって2年。自分が本当は何を撮りたいのかわからないまま、空回りする日々が、続いていた。そんな中、地球の歩き方マガジン『トラベル・フロンティア』という旅行雑誌を手にする。どうしても、ここに営業をかけたいという衝動にかられ、思い切って編集部に写真を持ち込んだ。「西森さん、エコツアーって知ってますか?」フロンティアの編集者小坂伸一氏が、何気なく発したこの一言が、私の一転機となった。その3ヶ月後には、エコツアー取材のため、インドネシア・ウジュンパンダン空港へ降りたっていた。

◇その12◇
南極へ行く


南極エコツアー
コウテイペンギンを撮影中
? インドネシア、ニュージーランドなどのエコツアーを取材するうちに、エコツアーとはいったいなんだろうと考え始めた。自然は保護するべきだと考えると、人が自然の中の入るエコツアーは、どうしても矛盾が生じる。人をまったく受け付けない自然とは、何だろう。そこへ人間が行くとしたら、エコツアーどうあるべきなのか。人の住めない場所『南極』へのエコツアーを取材してみたいと考えた。そして、21世紀私の最初の旅は、『南極』となった。

◇その13◇
伊豆大島に移住

エコツアーの取材で、あちこちの島を訪ねるようになってからのこと、取材を終えて東京に帰ってくると、なぜか気が休まらない。ゆっくりとした時間が流れていた島に、住むことができないか、島に暮らしながら、写真家の仕事ができないか、悶々と悩む日々が続いた。そして、伊豆大島に1軒の借家を見つけ移住を決意。家財道具&カメラ機材&猫&旦那と一緒に引越しをした。ビルの谷間から空を眺める生活から、庭先に咲く椿を見ながら原稿を書く生活へ一変した。




                          ◇その14◇
初めての本! 初めての写真展!

「本を出したい!」「自分が撮った写真と文章で丸一冊の本を作りたい!」写真家を目指したときから、思い続けていた夢だ。2003年、「南極の旅」をとうとう、本として出版するチャンスをつかんだ。本を書けるなんて、こんな楽しい仕事はない。大島の濃い緑に包まれながら、南極で感じたエコツーリズムについて、思う存分書き綴っていた。原稿を書き始めて3ヶ月、思いがけず妊娠が発覚。結婚9年目で初めてできた子どもなので、本も子どももどちらも諦める訳にはいかなかった。ひどいつわりと闘いながら、原稿を完成。妊娠6ヶ月目に、富士フォトサロンでの初めての写真展「南極エコツーリズム」を開催した。同時に、初めての本『ペンギンと泳ぐ旅ー南極エコツーリズム』を、出版することができた。


記念すべき一冊目の本!
『ペンギンと泳ぐ旅−南極エコツーリズム』 (NTT出版2003年)
?

初めての写真展
『南極エコツーリズム』富士フォトサロン(銀座)2003年9月


                          ◇その15◇
産休と育休を経て、仕事再開

2004年、男の子を無事出産した。出産前に、半年分の雑誌原稿を書き溜めておき、子どもが6ヶ月になった頃から、写真家&原稿の仕事を再開した。子どもが保育園に行ってる間に、仕事をすませる。子どもが生まれてから、短時間に集中して仕事ができるようになった。子育てと仕事の両立は、東京に住んでいたら、もっと難しかったのかもしれない。島での生活には、なぜだか分からないが、子どもを育てる余裕がある。人によっていろいろな働き方&子育てがあると思うが、私は、自分のペースでできる働き方&子育てを選択したいと思う。

◇その16◇
(to be continued・・・・)

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