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(株)タイニーリンクス 西森有里写真事務所
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●●航海日誌 [目次]
小笠原のおみやげ NEW! (最近の日記は、裏ページへどうぞ)
番宣用の撮影
Tシャツと土地
カメラ小僧 初めての1枚
99歳の女性水中写真家 レニ・リーフェンシュタール
50メートルの深海へようこそ
番外編 尾瀬と山岳写真の世界
写真を持って、師匠事務所を訪ねる
アニマ賞非受賞の言葉
私のカメラ 陸上編
暗室づくり
世界で一番楽しい、ナイトダイビング
私のお気に入り写真集1 「Light in the Sea」 David Doubilet




小笠原のおみやげ NEW!

 小笠原のおみやげが、育ってきたので報告します。それは、『パパイヤ』と『パッションフルーツ』。美味しくたいらげたあと、種をとって置いて、植木バチに植えてみました。とりあえず、芽はでてきました。

●●パパイヤ 蛙の卵みたいな丸い種が入ってる。

<観察日記>パパイヤは、2,3日で芽が出てきた。小さな鉢に10個ほど蒔いたら、ほとんど芽が出てしまった。発芽率よすぎ。かわいそうだけど、2本ずつに間引き。日に日に葉っぱが増えて、どんどん大きくなります。写真左下は 1ヶ月目。かわいい葉っぱがいっぱい出てきてうれしい。ものすごい成長力。もうちょっとしたら、大きな鉢に植えかえます。パパイヤは、雌株と雄株があるらしい。雄株だと、せっかく育てても実がならないらしい。今育ててるのはどっちなんだろう?





●●パッションフルーツ 同じく蛙の卵みたな種が、びっちり。噛むとぱちぱち弾けておいしい。

<観察日記>食べたいのを我慢して、10粒ほど植えてみました。ずーっと芽がでてこなかったので心配していましたが、種を植えて、3週間でやっと芽がでてきました。2本しか発芽しませんでした。パッションフルーツは、東京でも実がなるらしいので、雑草の芽でないことを祈りながら、育ててみます。でもこの速度だと、実がなるにはあと3年ぐらいかかりそうだなあ。



南国のフルーツが東京で育つのでしょうか。小笠原古民謡を歌ってあげたり、小笠原フラを踊ってあげたりして、育ててみます。大きく育つのだよ!

(2002/09/16)


番宣用の撮影

 テレビの撮影ってなんでこんなに疲れるんでしょうね。NHKBSハイビジョンスペシャル「体感エコツアー」の番組宣伝用の番組を、自宅で撮影しました。5分間の短い番組なんですが、いやー、疲れました。

 いつも通りでといわれても恥ずかしいので、自宅もいつも以上に掃除するし、マスコミ各社の仕事を平行してやってるから、いろんな資料を隠したりで半日かかります。普段はスッピンの西森さんも、肌のきめまで映るハイビジョンなので、さすがにメイクをしなくては・・・。(普段しなれないことをするから、疲れるのか・・・)

 撮影もやっぱり半日かかりました。最初にインタビューを1時間ぐらい。それから、仕事の様子(?)を1時間ぐらい撮影しました。部屋をもとに戻すので、やっぱり時間が、かかるわけなんです。別の意味で、自宅撮影は疲れますね。

 テレビの撮影は、何度やっても緊張します。インタビュー撮影は、肩に変な緊張が入って、肩がコチコチになりました。

 私の出るところは、たぶん、1分ぐらいです。この番宣用の番組は、普通の放送でも流れるそうです(総合とか、教育テレビでも流れるんだって。)げげっ!エコツアー特集は、ハイビジョン放送だから、一部の人しか見れないだろうと油断していましたよ。7月14日から8月5日の間に、何度か流れるそうです。

 社長が「今日はすげー疲れた!」とか、えらそーなことを言ってますが、ぜんぜん、何にもやってないじゃん!疲れたのはこっちだよ。

(2002/06/26)


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Tシャツと土地

 社長が買ってくれた誕生日プレゼントが、昨日届きました。今年の誕生日プレゼントは、Tシャツと1200坪ばかりの土地です。(なんて太っ腹な社長さま!)Tシャツはトカゲの絵が描いてあって楽しいでしょ!?

 1200坪の土地ですが、どんな場所なのか私もよく分かりません。購入場所は、アポロ11号の着陸地点のそばとなっています。地図で見ると一応、平地(海?)みたいです。地名で言うと『静かなる海』というところです。賢明な読者はそろそろおわかりでしょうか。社長様が買ってくれたのは、月の土地なんです。「月の土地権利書」が「Lunar Embassy-月大使館」から送られてきました。ふざけているのか、真面目にやっているのかよく分からない団体です。権利や法律などややこしいことは、置いておいて、将来、月に行くなんてことを考えただけでも、楽しいですよね。

 1200坪の月の土地、どうしようかな。私の購入した場所からは、地球が常に頭の真上に見えるはずなんですよね。でっかい地球がぐるぐる回ってるのが見えるなんて、すごいなあ。とりあえず、エコツアーのために使いたいですね。開発はしない。ホテルは建てない。道路もつくらない。宇宙服着たままでいいから、ぼーっと地球を眺められるような場所にできたらいいなあ。『地球をぼーっと眺める』ってどんな気分がするんでしょう。生きてるうちに行けるかな。何百年先になるかわかりませんが、他の星から来た生物(宇宙人というのだろうか)と文化交流できる拠点にするようにと、子孫によく伝えておかなくてはなりません。

 「月の土地」考えるだけで、楽しくなってきました。社長様、ビッグなプレゼントありがとうございました。


(2002/05/19)

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カメラ小僧 初めての1枚

 まだ自分を回顧する年齢ではありませんが、とても懐かしい写真が出てきたので紹介します。中学生の頃、修学旅行で京都・奈良へ行った時、撮影したものです。生まれて初めて買ったカメラ(キャノンのオートボーイ)で撮影しました。現像代が高いからあんまりフィルムは使うんじゃない!と両親に怒られていたので、たぶん、フィルムにして1本目か2本目の写真だと思います。14歳の頃、私はこんな写真を撮っていたのかと思うと不思議な感じです。この時は、写真家になるなんて、夢にも考えてなかったなあ。運動会や遠足には、必ずこのオートボーイを首から下げて、カメラ小僧と呼ばれてました。懐かしい1枚です。



東大寺二月堂

モアレがが出ちゃってるのは、絹目でプリントしてあるからです。
この頃は、こんな事も知らなかったのね。

(2002/02/20)

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99歳の女性水中写真家 レニ・リーフェンシュタール

 私が、まだ、写真学校の生徒だった頃、水中写真家中村征夫氏へ、アシスタントになりたいと手紙を書いてもいいものか、悩んでいたことがありました。理由はいろいろありますが、一番大きな不安は、水中写真が本当に私にできるかどうか自信がなかったから。ダイビングだけでも、相当重たい機材を担がなくてはならないのに、更に十数キログラムの水中カメラを2台、3台持って泳ぐなんてこと、私にできるのだろうか。たぶん、全重量を合わせると、私と体重と同じぐらい。

 この当時、スノーケリングをしながら、水中コンパクトカメラでパチパチという程度しか、水中写真を撮ったことがなかったので、何十キロという機材が想像できなかったんです。海でも、水中写真をやっている女性は、ほとんど見かけませんでした。ダイビング経験の長いある友人には、「水中写真!?女の子には無理だよ」とあっさり言われ、かなり落ち込んだこともありました。

 そんな頃、写真学校の先生が教えてくれたのが1冊の写真集、『レニ・リーフェンシュタール・ライフ』。レニはドイツ人で、1936年のベルリン五輪記録映画「美の祭典」「民族の祭典」などを撮影した女性写真家です。スポーツ写真の原型にもなるくらい、素晴らしい映像をたくさん残しています。この映画を後押ししていたのが、ヒトラーだったので、ヒトラーの愛人ではとウワサされた事もありましたが、本人は、思想的な関係性については否定。第2次世界大戦後は、アフリカの写真を、数多く発表。その後、71歳の時、ダイビングを始めようと思い立ちます。70歳を過ぎていては、さすがに、ダイビングの免許をとらせてくれるところがなかったので、20歳も年をごまかして、51歳ということで、講習を受け、見事合格。水中写真の世界へ入ることとなります。見せてもらったレニの写真集は、鮮やかな色な海の生き物達でいっぱいでした。

 私がレニのことを知ったのは、もう、90歳を過ぎていたと思いますが、写真学校の先生に、「まだ、彼女は水中写真を撮ってるよ!」といわれてびっくり。90歳を過ぎた女性ができるんだったら、20代の私にできないはずがない。頑張ろう!と思った1冊なのです。

 日本語の写真集は、『レニ・リーフェンシュタール・ライフ』株式会社求龍堂 ISBN4-7630-9123-9があります。英語版の水中写真集は、何冊か出ていたと思います。英語版の写真集には、水中写真を始めたきっかけなど、彼女自身が書いていて、とても面白かった。とても、ワクワクする写真集でした。

 そしてなんと!今年の8月100歳になるレニ・リーフェンシュタールは、新作映画「水中の映像」(仮題)を発表するそうです。インド洋で撮影した水中映像を45分間の映画としてまとめるそうです。すごすぎる!100歳にもなって、創作活動を続けられるとは。100歳のレニから見たら、30代の私なんて、まだまだ子供ねと言われちゃいそうです。この映画、日本でも公開して欲しいな。楽しみです。




『レニ・リーフェンシュタール・ライフ』は、こんな写真集です↑
『LENI RIEFENSTAHL LIFE』
producer and art director Eiko Ishioka 石岡瑛子
発行 株式会社求龍堂


(2002/01/26)

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50メートルの深海へようこそ

   「何とかと煙は、高いところに昇りたがる」と言いますが、ダイバーはその反対。深いところに潜りたがります。この夏、深度50メートルのディープダイビングに、挑戦してきました。場所は、マレーシア・シパダン島です。

 ノンダイバー読者のため、初めに、少し補足しておきますが、普通のダイビングで潜れる深さは30メートルぐらいまで。深ければ深いほど、空気の消費が速くなり、タンクのエアが途中でなくなる「エア切れ」の危険性が。それから、深い場所では、ダイビングで一番怖い「減圧症」にかかる心配も大。さらに、忘れてはいけないのが「窒素酔い」です。大深度では、ちょうど、お酒を飲んだようなほろ酔い気分になり、正常な判断ができなくなることさえあるのです。賢明な読者は、もうお分かりのよう、深度50メートルというダイビングは、かなり、危険を伴うダイビングなのであります。

 とは言っても、一度は、深いところへ行ってみたいのが、ダイバーの性。50メートルの深海がどうなっているのか、この目で、確かめてみたいじゃないですか。ということで、50メートルのディープダイビングにチャレンジすることになりました。

◇ ◇ ◇

 ガイドのYOSHIさんの
「このダイビングは、自己責任です。」
という一言に、船上に、緊張が走りました。一緒に潜るメンバーは、ガイドのYOSHIさんを初め、経験タンク数百本〜数千本以上という超上級者ダイバーのみ。船を停めると、次から次へと、バックスクロールでエントリー、そのまま、ヘッドファーストで、海底へ急降下していきます。私も、皆に、遅れじとついて行きます。50メートルの海底にいられるのは、約8分。潜降に時間をかけていると、その分、海底での滞在時間がなくなります。

 深度35メートルのところでゲージを確認しました。残圧180、2分経過。ここからは、私にとって、まったく未知の世界。ずっしりしたと水圧を感じます。視界の先に、うっすらと砂地が広がっています。ガイドのYOSHIさんが、その砂地に着地するのが見えました。
「あのあたりが深度50メートルなのか。」
15メートル下にいるYOSHIさんが、小さく小さく見えて、ぶるっと、深さへの恐怖を覚えました。

 深度45メートルを過ぎたあたりから、突然、夕暮れのような暗闇に。それと同時に、舌の先に、麻酔をかけられたときのような「痺れ」が。レギュレーターから吸う空気が、妙に甘いような気がしてきます。瞼が重く、視野が狭くなり、目の焦点が思うように合わせられません。水圧のせいなのか、体が思うようにコントロールできません。
「これって、もしかして、窒素酔い?」

 そんなことを考えていると、薄暗い砂地へふわっと、着地しました。海底の水は、思っていたよりもなま暖かく、何かにくるまれているような、心地よささえ感じてきました。そして、ずーっとここにいたくなるような、このまま寝てしまいたくなるような気分です。ゲージを確認すると、最大到達深度53メートル。残圧160、4分経過。ここに居られるもの、あと、4分少々。

 海底の暗さに、ようやく目が慣れてきました。目を凝らすと、塚のように盛り上がった砂の上に、魚がひらひらと泳いでいるのが見えます。体長20センチほどのアマダイの一種。体側に一本、蛍光の青いラインが入っています。体をひらひらと返す様が、美しい青色のリボンを振っているように見えてきました。もしかしたら、竜宮城の乙姫様は、こんな魚の化身だったのかも・・・。

 砂地の奥は崖になっていて、深度数百メートルまで落ちていると、ガイドのYOSHIさんが言っていました。いくら目を凝らしてみても、何も、見えません。じーと見ていると、その暗闇に、すーっと吸い込まれたくなるような衝動が、襲ってきました。
「ふぅ、あぶない、あぶない。」
 横を見ると、バディーのマリエさんが、浮上のサインをしています。ゲージを確認すると、残圧140、残り時間1分を切っていました。あっと言う間の8分間でした。
「OK。浮上しよう!」

◇ ◇ ◇

 しかし、深度50メートルへ挑戦は、ここで終わりではありません。一番危険なのは、ここからの浮上の時。ゆっくり、ゆっくり浮上しないと、減圧症を発症してしまいます。上を見上げると、遙か彼方に、太陽光が、明るく見えています。
「ああ、もう、早く、帰りたい。」
 今にも太陽に向かって、全速力で駆け出したい気持ちを抑えながら、ダイビング・コンピュータを見ながら、一蹴り、一蹴り、ゆっくり、ゆっくりと浮上していきました。

 40メートルを過ぎると、まるで、何事もなかったかのように、舌の痺れは消え、視界もクリアーに。30メートルの地点で、私の大好きな、アケボノハゼに出会いました。普段なら、あいさつしたいのですが、今回は、減圧がかかっているので、こんなところで、遊んでいる場合じゃありません。

 20メートルまで戻ってくると、ギンガメアジの大群が、渦を巻いているのが見えました。カメも、岩場で昼寝をしています。
「ああ、帰ってきた!」
見慣れた魚たちの顔ぶれに、ひとまず、ホッと一息。ここまで来れば、あとは、10メートル以浅にかけて、魚でも見ながら、ゆっくり、ゆっくりと浮上して行けば、もう大丈夫です。ようやく、光満ちあふれる、明るい南の島の海に戻ってきました。本当に、生きて帰ってこれてよかった。

◇ ◇ ◇

 50メートルの深海がどうなっていたかって?私がこれ以上書くのは止めておきましょう。皆さんも、機会があったら、ぜひ、チャレンジしてみて下さい。ただ、危険な香り漂う、甘い官能の世界だったことは、確かなようです。

(2000/09/05)


補足) ディープダイビングについて。
 ここに書いたようなディープダイビングは、どこでも誰でも、手軽にできるものではありません。ディープダイビングに適した地形であること。その時間に流れが無いこと。そのポイントをよく知っている経験豊富なガイドと一緒に潜ること。さらに、潜る本人自身も、かなりダイビング経験が必要です。

どうか、むやみに、セルフダイビングなどでは、挑戦しないようにお願いします。

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番外編 尾瀬と山岳写真の世界

昨日一昨日と、プライベートで尾瀬にハイキングに行ってきた。そこで出会ったアマチュアカメラマンの多かったこと。「山の写真」に関しては、私もアマチュアカメラマンなので、こんな世界もあったのかと、その機材や撮影方法には驚くことばかりだった。航海日誌<番外編>として、この日記を書こうと思う。

尾瀬は今回初めてだ。鳩待峠から尾瀬ヶ原を散策し、山小屋の竜宮小屋で一泊、そして、また鳩待峠に帰ってくるという初心者コースにした。それでも、山道を10時間は歩く。途中でばてたら荷物を捨てなくてはいけない。カメラ1台レンズ2本に小さい三脚と、全部で3kgに押さえた。

鳩待峠を歩き始めて5分。アマチュアカメラマンらしい人々が、次々と登ってくる。バックパックぐらいありそうなカメラバックに、普通はスタジオで使う程の大きい三脚をつけている。(あの三脚1本で、私の荷物全部より重いはずだ。)いわゆる中高年の方々が、そんな重い荷物で登ってくるのだ。一人二人ではない。これが山岳写真のスタンダードなのか。

「ダイビング機材と水中カメラを持って、こんな山道登れないよなあ。」と感心しながら歩いていると、前から、プロパン用のガスタンクを担いだ人が歩いてきて、腰がぬけそうになった。(あの2mぐらいはありそうなタンクだ。)初めて行った尾瀬ヶ原では、見るもの見るものが新鮮で、みんなに混じって、充分、撮影を楽しんだ。

私の泊まった竜宮小屋は、湿原が近く好ポイントがあり、写真撮影者向きということだった。一人で来ている人も多かった。そして、5時半の夕食の時、数人のお客さんがものすごい勢いでご飯を食べ、荷物を持って外に飛び出していった。何なのだろう?私も少し遅れて、夕景を撮影に行くと、もうすでに、三脚とカメラが何台も並んでいた。みんなが夕食を急いで食べていたのは、場所取りだったのだ。木道の上しか三脚を立ててはいけないので、良い撮影ポイントは、競争になるのだ。うーん、なるほど、勉強になった。

朝日の早朝も、よい撮影タイムだ。ここでも、勉強になったことが一つ。朝食の時間と撮影時間が重なる。写真を優先したいが、かといって朝食抜きは、一日の山歩きにはきつい。みんなは、どうしているのかというと、朝食をお弁当にしてもらっていた。こうやって、カメラの前で粘って、よい写真を撮っているのだ。みんな頑張るなあ。

鳩待峠への帰り道、2羽のカモのような鳥が、丸太の上で遊んでいるのを見つけた。私のレンズは60mmマクロ。かなり近づかなくては撮れない。生き物に近づくことには自信がある。水中写真の要領で、鳥との距離を10cmずつ縮めていった。あと50cmぐらいになったとき、背後に人の気配を感じた。50歳ぐらいのおじさんが、「おおっ。いるいる。」と言って、ハッセルに500mm望遠レンズを準備していた。私が、もう少し距離を縮めようとすると、「だめだ。もうそれが限界だ。それ以上近づいたら逃げちゃうぞ。」と怒られた。海の中では、タイミングを見ながら、魚に10cmまで近づいているので、もっともっと近づける自信はあった。が、鳥が逃げてしまったら、がっかりするだろう。しょうがない。その場所から撮影した。私はまだ後ろに並ばれた事はないが、水中写真でも、いい被写体には行列ができるという。こういうことなのだろうか。

「水中写真」と同じく人気の「山岳写真」。なかなか奥が深いようだ。

(1999/08/21)

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写真を持って、師匠事務所を訪ねる

アニマ賞へ送っていた写真(海の中の森)が、ようやく帰ってきた。このプリントを持って、久しぶりに中村さんの事務所を訪ねた。賞に応募したときはあーでもないこーでもないと、一人でまとめたので、今回初めて見せることになる。

中村さん、20点の写真を見て、しばし、沈黙。そして、
「もう一度、全部並べてみろ。何が足りないかわかった気がする。」
「なんだこれは!?っていう写真がないんだよ。1点だけでもいいんだ。そういう、人をギュッと惹きつける写真が、どうしても必要なんだよ。写真の賞なんだから、わかりやすくてきれいで、という写真だけでは駄目だ。ホンダワラが波にうねっている写真とか、マクロでよった写真とか、あっただろう。」

20点にセレクトする前、まず、40点程の写真をセレクトした。その中には、濁った海に海藻が溶けている写真とか、ウミブドウという、まるで葡萄の房が岩にへばりついている写真とか、中村さんの言うようホンダワラが海の中でひっくり返っている写真などなど、いろんな写真があった。その中から、よい写真、よい写真と選んでいくうちに、面白い写真を一つ一つ捨ててしまったのだ。美しいだけでは駄目なんだ。「人を惹きつける写真」を撮れなくては、写真家にはなれない。

中村さんの意見は、いつも厳しいものだけど、自分の写真に足りなかったものを、一言で、はっきり教えてくれる。写真家への次の一段が、わかりそうな気がした。私にはまだ見えないけれど、この階段の先には、また新しい階段が、たくさん待ち構えているのかもしれない。

こんな中村征夫氏を一言で表現するならば、
「やっぱり、中村さんは天才である。」

(1999/07/06)

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アニマ賞非受賞の言葉

口惜しいです。口惜しいです。時間が経てば経つほど、口惜しくなってきました。皆様もご存知のよう、私は、海藻が好きで、(どうして好きかはプロフィールを見て下さいね。)自分のライフワークとして、「海の中の森」というテーマでここ4年程、撮影を続けてきました。

昨年から今年にかけて、ようやく形にする事ができ、前々から挑戦したいと思っていた、この作品で、ネイチャー写真の新人賞「アニマ賞」に応募する事に決めました。

1ヶ月ほどかけて、ポジを20点にセレクト。伸ばしたプリントが好きだから、20点六ツ切に伸ばしました。仕上がったプリントを見たとき、私は、プリントの中に、一つの人格があるような気がして、ハッとしました。制作途中は、自分の全てを集中して、作品に投入します。でも作品が完成に近づいた瞬間、もう私とは別の人格を持ち始めている。もう、この写真は私の手を放れて動き始めている。(作品が完成したとき、そんな風に感じる事ってないですか?)

「みんなを楽しませてあげてね。頑張っておいでね。」ってそうプリントに声をかけて、送り出しました。

結果は、残念ながら、残念な結果となってしまいました。詳しくは、「太陽」7月号を見てください。最終選考には残り、審査員の方々のコメントも頂きましたが、賞には至りませんでした。

プリントが帰ってきたら、一緒に泣こうと思います。私の力が、足りなかった。プリントに十分な力をつけて、送り出してあげる事ができなかった。それだけが本当に口惜しいです。この口惜しさは、絶対、絶対に忘れません。「海の中の森」に本当の力をつけてあげられるまで、絶対に頑張ります。

(1999/06/14)

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私のカメラ 陸上編

よく頂く質問に、「どんなカメラを使っているんですか?」というものがあります。なかなか返答に困るんですが、「いろいろ使っています。」というのが正しい答えかな?本当にいろいろ使っているんです。場面、場面によって使い分けています。

◇ ◇ ◇


まず、モン・サン・ミッシェルを撮ったカメラは、ニコンのFE。海外などに、撮影に行くときは、重いカメラだと大変な目に遭うので、だいたいこれです。古いカメラで(今では、中古カメラ屋さんに行かないと売っていません。ニコンさん、ぜひ、また作って下さい!)FM2とF3の中間のようなカメラです。軽くて、AEもついていて、私は大好きなカメラの一つでした。でも、去年、とうとう寿命をまっとうしたので、今では、FM2を使っています。

モノクロを撮影したカメラは、主にマキナのプラウベル6×7です。これは、まるでお弁とう箱のようなカメラで、ブローニーサイズにしては、群を抜いて軽いカメラです。中版カメラのコンパクトカメラ版といったことろでしょうか。でも、写った映像は、35mmに比べると非常に美しいものです。

それから、もう一つ、よく使うカメラは、CanonのEos100。オート機能を駆使したいときは、これに限ります。急いで撮影しなくてはならない時、機動性が欲しい時は、このボディー+ズームレンズを中心に持っていきます。

そして、室内などでじっくり撮影できるときは、F4。(私も、一応、最高級機種は持っているのです。ふふっ。)(私には)重いカメラなので、F4はスナップには使いません。でも、三脚につけてじっくり撮影する時は、こんなにいいカメラはありません。FM2など、マニュアル機で苦労していた事が、これ1台あれば、うそのように解決する素晴らしいカメラです。F4を手にしてから、だから最高級機種なのねと、その違いを実感しています。

あと、もう一つ忘れてはいけないのが、コンパクトカメラ。つい最近までは、リコーのRZー800というのを使っていましたが、父に取られたので、コニカのBig Miniというコンパクトカメラを買いました。なかなか楽しいカメラで、購入してから3日で6本も撮影してしまいした。

◇ ◇ ◇


今回は、どのカメラを使っているかという観点から書いてしまいましたが、実際は、このレンズをこう使いたいから、このカメラを選ぶという考え方も大きいと思いますね。

(1999/06/02)

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暗室づくり

「うちには暗室があります!」というとみんなに驚かれるのですが、本当です。3畳ほどの、とっても快適な私専用の暗室があります。今の快適な暗室ができるまでの、変遷をお話しましょう。

◇ ◇ ◇


初めて暗室を作ったのは、写真学校の学生の時。水まわりが必要だったので、実家の台所に、暗幕カーテンをはって暗室にしました。しかし、台所というのは、つねに誰かが通る所。家族が起きている時間にはどうしても出来ません。みんなが寝静まった夜から朝までが勝負です。なにしろ、初めての暗室だったので、光が入り印画紙をだめにしてしまったり、現像液を間違えたり、眠りこけて水洗を失敗したり・・・となかなか大変な暗室作業でした。たぶん、自宅で暗室を作っているほとんどの方が経験していると思うんですが、台所を占領したこの暗室は、家族みんなに大不評で、怒られっぱなしでした。

家族のひんしゅくを買いながら、暗室を続けたのち、会社の寮に入れることになりました。ユニットバスのついているワンルームマンションです。ここなら誰にも気兼ねせずに、暗室をすることができます。大喜びで引越しし、部屋全体を暗室にしました。エアコンつき(暗室は、一定の温度に保つことが重要)ですし、おまけに水道代は会社持ちだったので、心おきなく水が使えました。(暗室はたくさん水を使います。)昼夜を問わず、誰にも邪魔されない最高の環境でした。大晦日からお正月にかけて3日間、卒業制作のため暗室作業をしていたのは、忘れられない思い出です。唯一、暗室の中にベットを置いて生活をしなくてはならないという点を除いては、とても完成度の高い暗室でした。

◇ ◇ ◇


快適だった暗室も、退職と同時に出なくてはいけなくなり(あたりまえですね)、またまた、暗室を作らなくてはならなくなりました。次は、結婚した新居です。新居といっても、築30年ほどの古い一軒家です。古い家というのは、暗室としてなかなかやっかいでした。台所を暗室にしたのですが、隙間が多く、意外なところから、光もれを起こします。おまけに、台所&居間&お風呂場を占領していたので、夫から無言の圧力がかかってきます。2階の事務室を暗室にしてみたり、押し入れを暗室にしてみたり、いろいろ試みたのですが、とうとう、この家では、満足のいく暗室をつくれないまま、夫の転職により、この古い一軒家から今の所沢へと引っ越すことになりました。

今住んでいる部屋の間取り図を見せてもらった時、ダイニングキッチンにちょこんと付いている3畳ほどのサービスルームに目がとまりました。「何だろう?この部屋?」窓のない部屋で、普通は、納戸として使うそうです。窓のない部屋なら、カーテンをはる必要もなく、暗室として申し分ありません。中を見せてもらう前から、このマンションにしようと自分の中では決めてました。

実際、使い始めてみて、水まわりのすぐ近くにある納戸というのは、暗室として最高でした。普段使わない部屋なので、いつでも、道具を使いやすいようにスタンバイしておけるし、誰にも邪魔されないので、暗室作業に集中できます。何かあれば、中断して他の仕事ができたりと、考えてもなかった長所もわかってきました。
今回の暗室は、自分としてはかなり満足してしているのですが、あえて欠点をいうと、窓がないので、換気ができないこと。クーラーがないので、真夏は暗室ができないこと・・・みなさん、どうやって、暗室づくりをしているんでしょう。ご意見がありましたら、ぜひ、メールを下さい。

◇ ◇ ◇


理想の暗室への夢はつきません。エアコンが付いていて、水道もあり、換気扇もついていて、温度差の少ない地下室なんかがあったら、最高なんですけどね。いつか、そんな自分の暗室を持ってみたいです。

(1999/05/18)

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世界で一番楽しい、ナイトダイビング


これは、私が、水中写真家の中村征夫さんのアシスタントをしていた時のお話です。

日テレの今日の出来事の企画で、冬の伊豆を潜ることになりました。場所は、西伊豆の大瀬崎。ダイバーでない方は、あまりなじみの無い場所かもしれませんが、大瀬崎はダイバーにとってはメッカといもいえる場所で、ちょっとした湾に沿って、ダイビングサービスが、所狭しと並んいます。大瀬歴10年なんていうベテランダイバーもごろごろしています。

何年も通っているダイバーがいるくらい、このポイントは、珍しい魚で、いっぱいの海なのです。この番組の企画でも、キアンコウをはじめ、珍しい魚をたくさん撮影しようということで、決まりました。

◇ ◇ ◇

撮影2日目。夜間は、昼間とはまた違う珍しい魚や、変わった生態が見られるかもということで、ナイトダイビングを行うことになりました。
とは言っても、真冬の海。気温は、0度近くにまで下がっています。日中も撮影していたので、疲れも残っているし、暗い場所での作業や、真っ黒な水面に入っていくのは、かなり緊張します。うーん。頑張らなくては。

一緒に潜ったのは、中村さんと私と、老舗のダイビングサービス大瀬館のガイドの山崎さん&峯水さんと、もう一人の助手阪倉さんの5名。

この5人で、水中で、どんな風に撮影しているかをご説明しましょう。中村さんは、メインのカメラを回します。このメインのカメラに、ケーブルがついているのですが、このケーブルが曲者で、水中で、撮影アシスタントがさばいてあげないと、岩や、サンゴにひっかかってしまって、綺麗な映像が撮れないのです。

わたしと阪倉さんは、主にこのケーブルさばき係。中村さんの撮影を見ながら、ケーブルを引っ張りすぎないように、たるませすぎないように、慌てて動いて砂を巻き上げないように注意しながら、アシストします。



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私のお気に入り写真集1 「Light in the Sea」 David Doubilet

先週、David Doubilet(デビット・ドゥビレ)の Light in the Sea を買いました。ナショナルジオグラフィックなどによく写真をだしている、水中写真家の写真集です。

写真集を買ったのは、半年ぶりぐらいだったのですが、もう、この本は、表紙をさわった瞬間から、びびっとくるものがありました。中をめくると、ため息をつきたくなるような写真が、つぎつぎと広がっています。写真集を手にとって2分後には、うきうきしながらレジに並んでいました。写真家だって、見るときは、単なる写真フリークなのです。

写真家は、他の写真家の写真を見るのかどうか、実際のところはどうでしょう。私の母校の土田ヒロミ先生は、最近は、他の人の写真は見ないと言っていました。他の人の写真を見ると、自分の写真が撮れなくなるというのが、その理由でした。私は、どうだろう?まったく、他人の写真をまったく見たくないモードと、見たくて見たくてしょうがないモードが、半年おきぐらいにくるような気がします。見たいときは、写真展のはしごをするし、見たくないときは、写真集売り場にもよりつきません。

Light in the Sea は、期待していた以上の写真集でした。
いつかは、こんな写真を撮ってみたい。いや、私にこんな写真がとれるのだろうか。絶対、撮ってみせる。こんなすごい写真集を開くと、気圧されてしまいそうです。自分の才能について考えるのは後にして、しばらくは、枕元において、宝物にしておこうと思うのでした。

(1999/03/24)

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